朝山正悟選手 現役引退発表会見コメント
2023年9月28日(木)に#2朝山正悟選手の現役引退発表会見を実施いたしました。
登壇者
ごあいさつ
岡崎修司 ゼネラルマネージャー
本日はお忙しい中お集まりいただき、ありがとうございます。
朝山正悟選手の引退発表をシーズン開幕前にお伝えするということで、朝山選手本人の口から聞いていただければと思います。クラブとしては、朝山選手の意思決定をしっかりとサポートするシーズンにしていきたいと思っております。本日はどうぞよろしくお願いいたします。
朝山正悟 選手
本日はお集まりいただきありがとうございます。しっかりと自分の言葉で本日はお話しさせていただきたいと思っていますので、どうぞよろしくお願いいたします。
朝山正悟選手による 今回の発表についてコメント
今シーズンをもちまして引退をさせていただくこととなりました。
20年間、このキャリアを続けられてきたこと、本当に幸せな競技人生だったと思っております。私はこれまで6つのチームを渡り歩いてきました。長くプレーをすることができたのは、たくさんの方々に支えられ、たくさんの方々との出会い、その人達とのつながり、その想いがそのまま自分自身のモチベーションとなり、続けることができたと思っております。
このように、シーズン開幕前に引退を決断させていただきましたが、私の周りには、対戦相手として関わった選手、自分自身が携わったチーム、日本代表で一緒に切磋琢磨して、日本のバスケットボール界を盛り上げようと一緒にプレーしてきた同期の仲間達がいます。またその仲間達がチームのスタッフとしてサポートしていたり、様々な形でバスケットボール業界に携わっています。そのような仲間たちへの挨拶も込めて、シーズン前に発表させていただきました。
当然、その中には、これだけ長く自分自身がプレーさせていただいたこの広島のファンやブースターの皆さん、パートナー企業、クラブ関係者の皆さんに対して、自分自身の最後の姿を見ていただきたい、それが本心で、このタイミングでの発表をさせていただきました。
自分自身としては、このチームでの役割をしっかりと全うして、勝利に少しでも貢献できるように、最後までやり切って、最高の景色で最後を笑顔で終われるように締めくくれたらいいなと思っています。
引退について「何歳までプレーをしたら引退」だとか、「こういう時期が来たら引退」とは決めることなく続けていました。この世界は、「自分が続けたいからプレーをする」という世界でもないと思っています。
当然、自分の中ではここ数年間、引退のことは頭の中で考えていました。その中でシーズン前に少しチームとは「自分自身の中では“ラスト”という気持ちの中で戦うシーズンにさせていただきたい」ということは伝えさせていただきました。
本当に色々な思いはありますが、第一にプロ選手としてコートに立つ以上、パフォーマンスをしっかりと発揮できないといけないと思っています。
私のようなベテラン選手がコートに立つということは、あくまでも自分自身の感覚になりますが、若手の選手を凌駕するパフォーマンスを出せないと、コートに立つのは厳しいというのが私自身の感覚です。今の日本のバスケットボールの現状では、12名しかベンチ登録できないところを、外国籍選手3名とアジア枠特別枠選手を含めると、日本人選手の登録は約8名程度になります。そのうち一つの椅子を自分が使わせていただくことになると、先ほど言わせていただいたように、自分がコート上でパフォーマンスを出すという意味では、若手選手が活躍する以上のものが出せなくなり、自分自身の役割としては「終わったのかな」と感じるようになりました。まだ1シーズンありますが、自分自身としては、「もうここまでなのかな」と思ったところです。
現役選手として活動するには、いつも心と体が一緒になっていないといけないと思っています。自分自身、まだまだ体は動いているつもりです。当然「チームメイトと練習ができなくなったら、すぐ辞めよう」と思っていました。今でも一回も休むことなく、みんなと同じメニューをこなせていると思うので、体の部分はまだ元気なところはあります。
でも、どこかであれだけ楽しみだった練習場に向かって練習するのが、試合の日を迎えるのが少し怖くなってきた。最後はどちらかというと心の方が先に折れ、自分の気持ちと体にギャップが出始めたのが要因かなと思っています。
岡崎修司GMより、朝山選手引退に際してのコメント
岡崎GM 私が朝山選手の隣でこのような場面を迎えることを昔の自分は全く想像していませんでした。本日は、朝山選手本人の口からお伝えさせていただくことが全てだと思っています。加えて、クラブ側の視点と、私は朝山選手とお付き合いさせていただいた期間も非常に長いので、個人的な視点も含めて少しお伝えできればなと思っています。
まずクラブとして、今シーズン10周年、10シーズン目を迎えますが、朝山選手は2シーズン目に加入しました。昔から、応援していただいている方はご存知だと思いますが、当時は本当に何もないクラブでした。
決まった練習場もなく、それを支えるスタッフも少なく、設備も、金銭的な部分も今より環境が非常に悪い中で、朝山選手はこのクラブに来てくれました。ここまでで9シーズン目を迎えますが、本当に苦しい時期がありました。
クラブとしての存続もそうですし、結果が出ない時期や、B2リーグに振り分けられてその中で苦しむ時期など、本当に様々なことがあって、それらを乗り越えて今のクラブがあります。そのような中で朝山選手はコートで3Pシュートを含めて、会場を盛り上げるプレーを見せてくれただけでなく、クラブが本当に苦しい時にオフコートでも支えてくれました。ここでは話せないようなエピソードも、たくさんあります(笑)。
それも含めて、個人としてもクラブとしても感謝とリスペクト(尊敬)をしています。また、先程ほど朝山選手本人からもあったように、クラブとしては、まだまだプレーできると感じていますが、このタイミングで発表させていただく形となりました。朝山選手が言うように、本人が1日1日を噛み締めながら練習しているということは、クラブとしてもすごく寂しい部分と、「いよいよこの時が来たな」と感じているところです。今シーズンは、10シーズン目ということもあり、色々と節目のシーズンでもあると思っています。気持ちよく送り出したいと思っていますし、シーズン前に(引退を)発表したことも、朝山選手らしいなと思います。最後まで勝負に徹して、結果も出していく。そのようなところをクラブとしてもサポートできるように、今シーズン全力で取り組みたいと思っています。
続いて、私個人としての視点ですが、私自身はクラブと携わって、もう10年目になりますが、2年目に朝山選手が来た時のことを今でも覚えています。当時、朝山選手が広島に来ると聞いた時「なぜそんな有名な選手がここに来るのだろう」と思ったのが、最初の印象でした。そのような中、広島に来ていただき、そこから本当に苦しい時期がありました。バスケットボールは業界的に非常に移籍が多い競技・リーグだと思います。正直、広島ではなく環境的にもっと条件が良いクラブもあったと思います。そのような中、広島を愛してくれて、クラブを支えてくれたということ、本当に尊敬しています。
朝山選手の言動から、学んだことも多いと私個人としても感じています。そのような中、この引退発表をさせていただくことは、個人的にも非常に寂しい思いと、反対に広島で朝山選手の引退を迎えることができ、嬉しいという思いも同時にこみ上げています。
今シーズン、朝山選手本人も言うように、勝負する中で結果を出して最高の瞬間を迎え、一番いい形で送り出したいと思っています。最後になりますが、今シーズンは節目のシーズンとなります。
朝山選手を送り出すためにも、皆さまのサポートが必要だと思いますし、今まで以上のご声援をいただきたいと思います。今回、この発表にタイトルを付けた通り、「伝説」を見逃さないように、会場にお越しいただければと思っています。
岡崎GMのコメントを聞いた朝山正悟選手のコメント
(岡崎GMへ向いて)
朝山選手 めっちゃまとめるじゃん!すごく準備してきてるね(笑)
(報道陣へ向き直って)
色々、自分でまとめてこようと思いましたが…。(前日に)決起集会で引退の話をさせていただき、檀上からあの景色を見た時に、いろんな方の顔が見えました。そのうち何人かがびっくりされて、泣いている姿を見た時に、自分自身も、グッとくるものがあり、言葉が詰まりそうになりました。でも、まだ私はこれからチームと1シーズン戦うので「ここが終わりじゃない」という部分を自分としては持って、あの場で発表させてもらいました。
また、SNSで届いたコメントなどを見ると眠れませんでした。一つひとつの言葉があまりにも大きすぎて、自分の中でも本当に嬉しくて、本当に幸せだったなと思いました。
そんな風に考えていると、考えがまとまらず、今日ここに来ています。なので、正直言うと、岡崎GMのまとまった話を聞くと、悔しいなって。そう思っています(笑)
個別質問 岡崎修司ゼネラルマネージャー
―朝山選手は、岡崎GMから見てどんな選手だったか?
岡崎GM 現在、プレータイムが数年前と比べると減っています。しかし、限られたプレータイムの中で、自分の役割、仕事に徹し、3Pシュートも含めて、ディフェンス面でもチームが求めているものをしっかりと遂行してコートで表現できるところは、本当に頼りにしている部分だと思っています。
同時に、先ほど朝山選手の口からもありましたように、チームをまとめていく部分と、若手選手への声掛けと主導的な部分は、ロールモデル(見本)となっています。「朝山選手がこう言うからこっちの方が良いのではないか」というような意見が挙がることもあり、そのような部分を信頼している若手選手も多いと思っています。
今、若手選手からベテラン選手のバランスがよく取れていると思っています。チームが成長していくためには必要な選手と感じています。
―選手以外にも兼任でアシスタントコーチや、営業のような活動もされていると聞いています。選手以外の活動で色々な役割をしていると思います。その部分はいかがでしょうか。
岡崎GM クラブにとって、必要なことや、できることは全てこの広島に注いでくれたと思っています。それは、コート上でのプレーもそうですし、コーチとしての仕事もそうです。広島の方々と繋がるということも大切にしているので、クラブの苦しい時期に支えになりましたし、すごく感謝している部分です。
個別質問 朝山選手
―ご自身の中で引退を決断したのはどのタイミングでしょうか。
朝山選手 クラブと今シーズンの契約をさせていただくにあたり、自分自身の中では昨シーズンが終わった時に、どういう形でまた1シーズン戦う準備ができるのか、思い始めていたのは事実です。
そして、どう自分が決断していくべきなのか考えて、家族や、自分の先輩たちといろんな話をしていく中で、自分としては「バスケが大好きで、まだまだバスケやっていきたい。もっともっと上手くなりたい」という気持ちでした。日々、この1シーズンに向けて、また戦い抜く準備をしていましたが、やはり自分の気持ちと体になにかギャップが出始めているという感覚がありました。
具体的な決断については、この9月に入ってからになります。チームとも相談させてもらっていましたが、自分自身の中では、8月の合宿を終えたあたりの時期で真剣に考えるようになりました。
合流時期が若干遅れていた選手もいましたが、全選手が合流し、自分自身も改めてチームのみんなと交わってバスケをし始めたタイミングで、やはりその気持ちがだいぶ強くなり、決断に至りました。決断後はまず家族に伝えました。そしてクラブに伝えさせてもらったのが9月上旬になるかと思います。
―チームに伝えた時のチームメイトの反応は、朝山選手から見て、いかがでしたでしょうか。
朝山選手 まず初めに、ドウェイン(・エバンス選手)が「まだやれるでしょ」と日本語で言ってくれました。チームのみんなからは率直に、「ありがとう」「お疲れさま」「今シーズンやり切ろう」という言葉をいただきました。
そして、全員がもちろん僕のために戦うわけではないですが、今シーズン「最後までしっかりといい形で送り出したい」という言葉をいただきました。
寺嶋選手が今、アジア競技大会に出場中で不在なので、彼には個別に電話で伝えたのですが、彼からは、本当に熱い言葉をいただきました。僕自身、心にくるものがありました。その言葉について、私は私自身の中で大切にしたいと思いますので、何か機会があれば、彼に直接聞いていただけたらと思います(笑)
―ご家族の皆さんにお伝えしたとき、その反応はいかがでしたか。
朝山選手 家族には本当に支えてきてもらいましたので、家族に伝えることも大きな時間でした。やはりスポーツ選手は誰もが思うと思います。「子どもができた時に、子どもの記憶が残るところまでプレーをしてやろう」と。それを私はかなり通り越して「お父さん、もうそろそろいいんじゃない」って言われるような、そこまでやらせていただいたと思っています。
二人の息子に話をした時は、「寂しい」とか、そのような言葉ではなく「本当にお疲れさま」とスッと心から出てきたような言葉をかけてもらいました。本当に彼らは私を一番近くで見ていると思います。それはコート上で活躍している時期もそうですが、家で辛そうにしている時間も見てきたと思います。彼らしか見えていない部分、そして彼らだけが感じている部分もある中で、出てきた一言だったのかなと感じています。
私の口から伝えた時は、率直に今の自分の気持ちを伝えることができました。私の言葉から色々なものを感じ取ってくれたように思った瞬間だったので、嬉しかったです。
―今シーズン、再びキャプテンとして戦うシーズンになります。もう一度キャプテンという責任あるポジションに就任した思いについては。
朝山選手 移籍して2年目にキャプテンを務めさせていただいて、そこから本当にクラブは、色々なことがありました。その頃のキャプテンの役割と比べて、コート上の役割はそこまで大きくは変わらないと思います。ただ、このクラブがこれだけ大きくなり、成長してきて、広島の地でこれだけバスケットボールが認知され、チームがこれだけ強くなってきた状況の中での「キャプテン」という立場は変わったと思うのが正直なところです。
3年ぶりにキャプテンに就任させていただき、とにかく今シーズンは、このチームの選手たち、スタッフを含めて、みんながコート上で最大のパフォーマンスを発揮するために自分がその最大のサポートをすることができたら1番と思っています。
色々なことを経験してきた中で、それをしっかりと若手選手に伝えていくことや、それをチームの勝利のために貢献することもそうだと思います。また、コーチ陣と選手たちとの橋渡し役なども担っていきたいなと思っています。
今のチームはバランスもよく、みんなが(やるべきことを)遂行できる選手が集まっています。いい形になっていると思うので、チームが最大限の力を出せるようにサポートするのが役割なのかなと思っています。
―在籍9シーズン目となりますが、1番思い出に残っていることは。
朝山選手 色々なことがありすぎて、1つに絞るのが難しいので、いくつか挙げさせてもらいます(笑)。
まず、広島ドラゴンフライズに入団したきっかけとして、佐古賢一(初代)ヘッドコーチのもとでプレーをしたいというのが最大の理由でした。それまで、2006年の世界選手権や、広島での合宿、当時のスーパーリーグや、JBLなど、試合では何度か来たことはありますが、私自身はこの広島に対して特別、何か強い思い入れがあるわけではありませんでした。そのような中、佐古さんに声をかけられて「この人のもとでバスケをしてみたい」と思って入団しましたが、わずか16試合程度で、いきなりシーズンを棒に振らなくてはならないような怪我を負ってしまいました。
でも、まだ16試合しかプレーをしていない私に対して、試合会場の中に「自分達はコートでコートに立つのを待っている」という応援幕が掲げてありました。たくさんのメッセージもいただいて「なぜこんなにも広島の人たち、支えてくれているファンの人たちはこんなに熱いのか」と強く感じました。
その後、ある試合で松葉杖をついて試合会場に入った時、本当にたくさんの人に声をかけてもらいました。今でも家にありますが、千羽鶴をたくさんの方々からもらいました。だからこそ「必ずコートに戻って、自分のプレーで皆さんに何か恩返しをしていきたい」と思いました。
その時、広島はスポーツを支える、スポーツを見る文化ができている土地だと思いました。当時はまだ700名~800名、多くて1000名が来場するかどうか、というレベルでした。でも「今は(満員にするのが)難しい状況でも、必ずこの広島サンプラザホールが満員になるだろう、そのような日がいつか来るだろう、そこに携わりたい」と思ったタイミングでした。この出来事は、自分自身が広島に対して、この先もこの地でプレーしていきたいと思った大きな要因になったと思います。
…ちょっと長くなったら言ってくださいね(笑)
この際なので色々お話させていただくと、全てが繋がっていると思います。(この先も広島でプレーしたいという)その思いがあった中、B2リーグへの振り分けがありました。本当にショックでした。その時はチーム練習中で、みんなiPadで大河チェアマンの記者会見を見て「あれ、呼ばれない。でも次は広島だろう。次だよね」とみんなで話をしていました。最後の1チームになり「あれ、もしかしたら」とだんだんみんなの声がなくなっていく。宇品の体育館で、ものすごく暑かったんですよ。みんな汗を垂らしながら、練習が始まってないのに、もう汗が出てきて、言葉がなくなっていく中で、最後の1チームが発表されるときに呼ばれなかった。あの時の感情は、今でも昨日のことのように覚えています。
発表後は、自分達は何をしていいのか分からないので、とりあえず練習をしました。でも、自分たちが何の為に練習をしているかも分からなくなり、すぐ練習が終わりました。その後にそれぞれの選手は、自分たちは今後どうなっていくのか、本当に不安な日々を過ごしたと思います。
とはいえ、私は練習後に佐古さんと食事に行き、佐古さんから言われました。
「お前のバスケ人生だ、これを背負うことはしなくていいぞ。まだやれるんだったら、自分自身がやりたい選択をしてくれて構わない。自分(佐古さん)に対しての思いでこのチームに来てくれたかもしれないけど、そこはしっかりと考えてくれ」ということを言われたのを覚えています。
でも、その話を聞いて、すぐに佐古さんに言いました。「1年でB1リーグに上がりましょう」「1年で返り咲いてやりましょう。みんなを見返してやりましょう」と。「みんな」というのは、当時発足したB.LEAGUEに対しての思いが強かったと思います。怪我のこともありましたし、今までにないような感情が入り、かなり気合が入っていたのを覚えています。
そのような中、(B.LEAGUE初年度の)シーズンを戦い、(B1昇格決定まで)あと一歩のところでライバルの島根スサノオマジックさんに敗れました。本当に今でも私は、これだけは悔やんでいるというか、恨んでいることがあって、あの5分間の前半戦と後半戦のゲーム(第2戦、1勝1敗となった直後に行われた勝者決定戦の第3戦)はなんなんだよ、と思ってるんですよ(笑)。あれだけは、今でも少し納得ができなくて、仲間の間でブツブツ言っている時もあるのですが、それはもう言い訳になってしまうので。やっぱり勝った方が強い、これはもう仕方がないことです。
第3戦目に向かう時のロッカールームの光景も今でも覚えています。終わった後まだ(昇格のチャンスが)あるとはいえ、僕たちがあれだけ皆さんに応援していただいていた中で届かなかった状況というのも、そしてそこから乗り込んだ横浜(での入れ替え戦)でも最後、届かなかったというのもやはり覚えています。その後、佐古さんが(HC退任で)いなくなり、「自分自身が引き継いで、色んなものを背負ってやっていこう」と思ったタイミングでもありましたので、そこからが自分自身にとってある意味では、この広島での第2のバスケ人生という状況だったと思っています。
そしてそこからの3年間というのが、やはりこれまた色々なことがありましたね(笑)
ご存知のように、そのシーズンで、まさかの私が選手と兼任でヘッドコーチを務めさせてもらう状況になりました。もちろん、その前からチームは色々な問題を抱えていた状況ではありましたし、当時はかなり難しい状況だったと思います。そのような状況も含めて、自分自身が色々担って、やっていかなくてはいけないと思ったタイミングでもありました。そして先ほど、岡崎GMからもあったように、当時は単純に練習会場が決まっていないとか、そういうことに加えて、明日の自分達が分からない状況というのがありました、そこは選手としてかなり不安な時期でした。
あのシーズンはバスケ以上に、「自分達のチームが消滅するのではないか」、「自分は何ができるのか」と模索しながらプレーをしていたと思います。
そんな風にいろいろと経験しながら(迎えた、2020年3月の)B1リーグ昇格(を近寄せるB2西地区優勝を決めた試合)が、まさかの無観客試合でした(笑)。
長々とお話しさせていただきましたけど、本当に広島では色々なことがありました。ですが、その一つひとつが自分自身にとって、またこのクラブにとって、なにか一つのストーリーになっていると感じています。
包み隠さずお伝えさせていただくと、選手をしながら睡眠時間が1、2時間という時期もありました。選手としては何をしていたか分からない時期もおそらくあったと思います。これがまた、当時は本当に辛かったです。でもだからこそ、それも含めて今こうして、自分がこの広島をこれだけ大好きだと思えるようになった。そこに全てが繋がっていると思いますし、その一つひとつの経験が自分をここまで成長させてくれたと思っています。
だから、「この出来事、このタイミングが1番思い出に残っている」というのを、表現することは難しいのですが、このストーリー全てが、自分自身にとっては大きな思い出であり、自分がこの広島で、このチームで、最後ユニフォームを脱がせていただくことを決断させてもらった大きな理由になるのかなと思います。
―当時 広島サンプラザホールをいっぱいにしたいと願っていて、現在このB1リーグという舞台でフルハウスの景色をご覧になって、どのようなことを感じますか。
朝山選手 選手というのは本当に幸せだと感じていて、「あの満員の光景を一番いい席から眺めることができる」と言ったら変かもしれませんが、僕たちはコートの中心に立たせていただいて、その熱を感じることができます。僕が広島サンプラザホールに初めて来た時は、対戦相手(として)でした。当時の広島には、ミスターバスケットボールの佐古賢一さんがいて、竹内公輔という日本代表の中心選手がいて「相当盛り上がっているのだろうな」と思っていました。しかし実際は、私の感覚ですが500人や600人程度の観客で、驚いたのが正直なところです。
そこから広島に加入して、ガラガラの会場も経験させてもらいました。それが、年々たくさんの方々に足を運んでいただくようになって、そして迎えた今シーズンのプレシーズンマッチの千葉ジェッツ戦でした。チームとしては故障者が続いていたこともあり、不甲斐ない試合となってしまいましたが、ただその中で(過去最多の)約4,800人(のお客様が)入った光景を見た時に「ああ、ここまで来たんだな」と、私自身何か感慨深いものがありました。ですが、この光景にはまだまだ先があるとも感じています。
やはりあのワールドカップの熱があって、会場にもよりますが、今やバスケットボールでも1万人以上入ることも稀ではないと思います。そのようにバスケ界全体が盛り上がってきたことが、もう本当に嬉しくて仕方がないです。当然、この広島にたくさんの方々が足を運んでくださった。これも嬉しいのですが、やはり自分自身としては、バスケットボールに20年間携わってきた中で、これだけ変わってきた時代を見ることができたこと、実感できたこと。これは私だからこその経験だとも思いますし、私自身にとって財産になっていると思います。
ただ、これが終わりじゃないと思います。今、新しく変革する「Bプレミア」に向けて、クラブも参入を目指すことを表明していますが、これから日本中のバスケがさらに盛り上がっていく。大きなアリーナができて、その中で選手たちがプレーする…。これが当たり前の日常になっていくということを私も見届けていきたいですし、その変化に、私自身も貢献できるように携わっていきたいなと、そのように思っています。
今、現状として、あの満杯になったフルハウスの光景は本当に嬉しいですけど、でもここがゴールじゃないと僕は思っています。
―体が元気であれば、プロ選手である限り環境を変えてまだ続けるという選択肢もあるかと思います。その中、広島でユニフォームを脱ぐという決断をした思いを聞かせてください。
朝山選手 やはり、年齢を重ねる、ベテランという立場になると、「引退」という言葉は、多くの人がよぎってくると思います。ですが、自分自身としては日々の準備を1日たりと怠ったつもりはないですし、ハードワークをしてきていると思っています。その甲斐もあって、体はまだ動くというのは、自分でも正直感じています。ですが、やはり体と心というのは常に一緒の状態にあるべきだと思っています。体だけ元気でも、そこに対するモチベーションや心の準備が繋がってこないと、1つの練習、1つの試合、そこに至るまでの準備というのが難しくなってくると思っています。
体はまだまだ動きますが、朝起きて、1日をバスケに対して、その練習、試合に向けて準備していく中で、心のどこかで「ああ、怖いな」と思うようになりました。“キツさ”はあっても、練習や試合をすることは、どこか楽しみな気持ちは変わらずあります。ただ、どうしても、今日体育館へ行くのが、練習や試合をするのが怖くなってくる、不安になってくる。そのような気持ちが割合として強くなってきてしまったのが正直なところです。これは、どのカテゴリーにおいてもそうだと思いますが、もう現役として、選手として、トップのカテゴリーで(プレーを)続けるというのは難しいのかなと。そのように思ったのがこの決断に至った理由です。
その決断をしてからは、人間の心理でもあると思いますが、本当に一日、一日が噛み締められるようになりました。「もしかしたら今日の練習が最後になるんじゃないか」と。それまでも頭によぎる時はありましたが、決断してからはもう100%、そう感じるようになっていました。なんと言いますか「今日、この練習をこの仲間達と一緒に汗を流してという時間は、もう来年の自分にはないんだな」と思うと、それまで不安で、怖くて仕方がなかった毎日が、また楽しみになってきたというか、今日という一日を噛みしめながら、楽しんでコートに向かうことができるようになっていました。
そのため、自分自身としては、このタイミングでこの決断をして、発表させていただいたというのは、「皆さんに対してお伝えしたい」というのも本心ですが、本当に色んな想いがあって、自分自身にとっても凄く良かったなと、最後までやり切れる力になると感じています。
―広島でユニフォームを脱ぐということに関しては。
朝山選手 正直、事前に決めていました。先ほどもお伝えさせていただいたように、20年間本当に色々なことを経験してきて、その間には、他のチームに在籍していた時ではありますが、日本一も経験させてもらいました。でも、自分にとっては、この8年間、今シーズンで9シーズン目になりますが、広島で過ごしてきた期間が、ものすごく自分自身にとっては、選手としても、人としても成長させてもらった、かけがえのない時間でした。
そのように感じている中で「最後にユニフォームを脱ぐなら広島だ」というのは、いつしか決めていたのだと思います。いつか決断をする時には、必ずこの広島でユニフォームを脱がせていただこうと思っていました。やはりそれだけ、このチームは僕にとって大きな存在なのだと、そのように思っています。
そして、まだシーズンは終わっていないので、私のこの決断が、僕自身にとってもいい選択だったと思えるような、そういうシーズンにしたいです。
―佐古さんから学んだこと、またそれを踏まえて選手、コーチとして選手達に伝えてきたことは。
朝山選手 佐古さんとは、当時のアイシンシーホース(現:シーホース三河)さんで、現役として2年間一緒にプレーさせてもらいました。そのため、佐古さんのラストイヤーを僕は見届け、一緒に過ごさせていただいています。引退されたその後も同郷(神奈川県)ということもあって、プライベートでも仲良くさせていただいていました。それからまさかこの広島ドラゴンフライズというチームで、今度はヘッドコーチと選手という関係で一緒にプレーさせていただくとは当時は思ってもいませんでした。本当にたくさんの時間を共有させていただいている中で、やはり学ぶものも多くありました。その中で、私自身一番心に残っているものは「素でいいんだ」ということです。
様々な場面で色々な言葉をかけてもらいましたし、たくさん思い出もありますが、ただあの人の「生き方」そのものが、自分自身にとって大きな影響となっていました。それは「常に自分に嘘がない生き方」と言いますか、「自分に嘘なく、自然体のままで。できないものはできない、助けてほしい時は助けてほしいと言う」。だからこそ、その助けてもらえるような人付き合いや、人との接し方を、普段から大切にされている方でした。無理に着飾ることなく「バスケットボール選手だから、こうでないといけない」ということではなくて「自分は自分のスタイルでいいんだな」ということを感じさせてもらいました。
そこからは、何か自分自身としても何か肩の荷が下りたというか、自分自身が望むものに対しては120%取り組むことができましたし、逆に自分自身が「ここはこだわらなくてもいいのかな」と思うものに関しては、無理に力まず向き合うようになりました。そのため、この広島の地にバスケがもっともっと根付いていってほしいと思い、そこに対して自分自身がやれることを模索し、120%注ぐことができたのも、通ずるものがあるのかなと思っています。
今だからお話しできることですが、佐古さんが広島のヘッドコーチを辞めた後、私はすぐ佐古さんに話しに行ったことがありました。その時、私は「選手を辞めます」と言ったんです。「引退させていただいて、佐古さんの後に私がヘッドコーチやります」と言いました。その時、車の中2人で話をしていましたが、めちゃめちゃ怒られました(笑)。
すごく怒られて、「ふざけんじゃねえ」と言われました。「そのつもりでお前を呼んだ訳でもないし、そういう意味で誘ったわけでもない。そして自分自身がここを去るのもそういうつもりではない。だから、自分自身の気持ちに真っすぐに、選手をそんな簡単に辞めるんじゃない」と。その時に言われたこの言葉を、今でもずっと鮮明に覚えています。その時は、まさかこんなにも長くプレーをするとは思ってもいませんでしたが、ここまでこうして長くプレーさせてもらった1つの理由に、この佐古さんの言葉もあると思っています。
(当時は)私自身、どこか色々なものを背負い過ぎようとしていたと思います。恰好つけた言い方をしますと、まだ選手をやっていたいという本心を取り除いて、「このチームのためにできることは、こういうことしかないのではないか」と、正直その時は、その感情を勢いのまま言ってしまった部分もあると思います。
「佐古さんが辞めるんだったら、私がヘッドコーチをやります」。正直、ヘッドコーチはそんなに簡単なものじゃないと思いますし、いきなり自分ができるかも分からないことに対して、生意気な話だったなと今では思います。私自身、本当は選手として活躍している姿をまだまだ皆さまに見ていただきたい。その本心に嘘をついていた私が、ここで辞めるのはやはり違う、と思うことができたのも、ここまで選手としての日々を本気で過ごしてこれていることも、全て佐古さんの「生き方」から学ばせてもらい、今の自分の「生き方」に繋がっていると感じています。
まあ、結果的にヘッドコーチはやることになったのですが、それはそれでまた別ですね(笑)。
―カイル・ミリングHCは今シーズンで3シーズン目、昨シーズンからの継続メンバーが多い中、プレシーズンマッチはコンディションの状況もあり、なかなか良い結果が出なかった。この点については。
朝山選手 先日のプレシーズンマッチと、天皇杯に関しまして、応援していただいている皆さまに、不安を与えている状況だと思っています。プレシーズンマッチ、さらにその後の天皇杯も、自分たちは、ベストの状態で試合に向かわなくてはいけないものだと思っています。プレシーズンマッチは“試す”という意味もある試合だと思いますが、良い状態で“試す”のと、そうでない状況で“試す”のとでは、やはり違うと思います。現状をお伝えしますと、正直不安な部分は感じています。
ですが、今シーズンの開幕に向けては、準備をしてきた7月からここまでの期間だけが全てではないと思っています。ほとんどの選手は昨シーズンから継続(して在籍)のため、より多くのものを共有できていると思いますが、新しく加入した2人の選手とのケミストリーもまだまだこれからだと思っています。現状、外国籍選手の怪我など、不安に感じる部分もあるかと思いますが、チームの完成度としては、これまでの積み上げもあり、良い状態にあると思っています。
チャンピオンシップに出場する常連クラブになり、そのさらに先のところを見据えていくチームになるためには、表面上の強さだけでなく、中身の強さを高めていく行動も必要になります。その中身の部分の積み上げも順調にできている手応えは感じていますし、あとはシーズン開幕に向けて、今の怪我人が多い状況の中でも、選手たちが健康体でシーズンをやり抜くこと。シーズンを通して、成長できるチームになることも、重要になってくると思っています。
―今シーズンが終わったあとは、どのようなプランを描いているか。
朝山選手 色々なものを、一旦フラットにしたいというのが正直なところです。自分自身の中で、次にやりたいことが明確に決まっていないというのが現状です。
私は小学生の時に「プロ選手になる」というのを卒業文集にはもう書いていました。その一方で、当時は自分が指導者になるということをイメージ出来ませんでした。学校の先生など、教える人になりたいというもう一つの夢を持っていました。
そのため、大学でも教員免許を取りました。現在、バスケに長く携わらせていただいておりますが、この世界に入った時から選手として少しでも長く続けていきたいと思う一方で、指導者になりたいという気持ちも強く思ってきました。
今の日本のバスケットボール界でコーチになるためには、B1リーグのクラブからユースなどの学生チームまで、ライセンスが必要になります。タイミングが重なったこともあり、今一番上のランクであるS級ライセンスを暫定で取らせていただいています。(※海外での研修を終えれば本取得)
自慢に聞こえてしまうかもしれませんが、現役選手で一番上のS級まで持っているのは私だけだと思います。もちろん、いつかは指導者になりたいと思っています。今はどのカテゴリーの指導者をしたいとかイメージはなく、いろんなものをフラットに一旦考えたいと思っていますので、明確にこれからのコーチとしてのプランは決めてはおりません。
―将来のビジョンの中に、広島という土地は関わってくるでしょうか?
朝山選手 やはり、私はこの広島という土地が大好きです。こうしてユニフォームを脱ぐ決断をさせていただきましたが、この先も広島で関わることができたら幸せだと思っています。
僕自身としても、まだ大きな夢がありますので、その夢をこの広島で体現していきたい強い気持ちは持っています。
ただ、ここに関しても色々なタイミングがあると思います。他の競技と同じく、バスケもそうですが、自分がプレーしたいから続けられるということでもないと思います。今までと同じように、この先、私の新たな夢に向かって、その準備をしっかりしていくということに尽きるのかなと思います。
この広島という地が、広島ドラゴンフライズが本当に大好きなので、このクラブに対して、またこの広島に対しても、自分ができることで何かを恩返ししていきたいなと思っています。もっと大きなことを言うと、これまでバスケットボールに育てられてきて、成長させてもらいました。そのバスケットボール界に対して、恩返ししたいと強く思っています。今、日本のバスケも強くなってきて、その中で注目度も高くなってきていると思います。
しかし、日本のバスケは、これで終わりではないです。日本のバスケは、今より発展してほしいと思っていますし、もっともっと世界で活躍する選手が出てきてほしいと思います。そこも含めて、私自身ができることは、もっと関わっていきたいと思います。
―先日行われた、島根や千葉Jとのプレマッチでは、様々なポジションや役割を経験されたかとは思いますが、その経験から良い影響を受けることはできましたか?
朝山選手 今、世界のバスケに言えると思いますが、だんだんポジションレスになってきていると思います。昔、私がこの世界に入ってきた当時のような、「センターはセンター」、「ガードはガード」、「シューターはシューター」というような時代ではなく、今は、どの選手も色々なポジションができるような時代になっていると思います。それが世界のバスケになってきていると思います。アクシデントの中、少ない人数で戦ったとはいえ、普段、自分たちが経験しないことをプレーするというのは、選手にとっても、お互いの気持ちを分かり合う意味でもかなりプラスになった部分もあるし、チームにとって、一つ積み上げにもなったと思います。
―現時点での、チームとしての熟成度はいかがですか?
朝山選手 チームとしてはかなり良い戦いができるのではないかと、手応えはあります。あとは、怪我人の状況次第だと思います。やはり、どれだけ強く、成績を残しているチームでも、一人二人負傷者が出てしまうと、現在のこのリーグの制度では、土日の連戦も含めて、色々なことが重なってくると、急にチームの状況が変わってしまうことがあるのが現状です。そこを踏まえても今はかなりいい状態だと手応えを感じています。シーズンを通して、まず怪我人を少なくプレーができるかということが大事になると思います。昨シーズン、他のチームに負傷者が多く出てしまう中で、ドラゴンフライズは負傷者も少なく、かなり良い状態だったと思います。今シーズンも負傷者が出なければ、かなりいい状況になるのではないかと思います。
あとはご存知の通り、西地区は混戦というか激戦になるというか、競合がかなり厳しくなっていきますのでその辺の兼ね合いもありますね。馬場雄大(長崎ヴェルカ)も加入しましたし。
―そういう意味で、西地区は激しい戦いになりますでしょうか?
朝山選手 どの地区もそうだと思いますが、その中でも現状の戦力や状態を見る限り、西地区はかなり激戦・混戦になると予想しています。
―朝山選手にとって、広島ドラゴンフライズは一言でいうとどんな存在ですか?
朝山選手 「家族」だと思います。広島東洋カープの新井貴浩監督も「家族」と言っていたので、非常に恐縮でかしこまってしまいますが、今その質問をいただいて、パッと思いついた言葉が「家族」でした。チームとは、もしかしたら自分の家族以上にいろんな経験や時間を共有したり、辛い時期も乗り越えてきたり、いろいろな事を共有、経験しました。少し、偉そうな言い方になってしまうのですが、チームが成長していく姿も見させていただきました。そのようなことを踏まえてみると「家族」のような存在でした。
―その「家族」たちと過ごした時間というのは、朝山選手のバスケットボール選手としての人生にどのような影響を与えていますか?
朝山選手 本当に、すべてです。冒頭でもお話しさせていただきましたが、バスケがあったからこそ、バスケをやってきたからこそ、これだけの人たちに出会えましたし、その出会いが私自身をここまで成長してくれたと思います。その人たちとの出会い、その繋がりと皆さまの想いも含めてです。コート上のパフォーマンスもそうですし、コート外の部分でもそうです。全て自分が直結できていました。本当に私は、とにかく本当に運が良かったと思います。
引退発表の文章にも書かせていただきましたが、同級生の中でも私は一番注目されていなかった人間だったと思います。シーホース三河に同級生(柏木真介選手)が一人いますが、当時は9人~10人程度、同期生がいたと思います。その中でも、私はある意味、中途半端な人間でした。何か突出した能力を持ったわけでもない私が、このような長くプレーさせてもらって、成長させてもらった。それは応援してくれている人だけではなくて、コーチ陣もそうですし、携わったチームの人たちもそうです。色々な方々、全てに成長させてもらったと思います。そのような人たちに出会うことができて、運が良かったと思います。同級生の中でも、長くプレーをすることができたのは、自分自身に能力があったことより、誰よりも運が良かったと思っています。そのような部分も踏まえて、出会った人に育ててもらいましたし、人に支えてもらいましたし、そのお陰でコート上でもパフォーマンスを出し続けることができた。そう思います。
―以前、「B1リーグで広島ドラゴンフライズのユニフォームを着て優勝したい」と言っていました。選手として最後のシーズンに向かう今、どう思いますか?
朝山選手 優勝を目指さないシーズンはないので、今シーズンは私自身にとってはまた特別な気持ちを持ってのシーズンになります。当然、優勝という形で終えることができたら最高です。今、(ドラゴンフライズは)優勝を狙えるチームになってきていると思います。チーム一丸となって、最高の景色を見ることができるように、日本一になってユニフォームを脱ぐことができたら、こんな幸せなことはないです。当然、優勝を目指しながら自分自身ができること、このチームで何か貢献できることをプレーの中、コート上の中でも自分は勝負していきます。それ以外のところでも、しっかりと優勝を目指していくために、自分ができることをしっかり全うしていきたいと思っています。
朝山選手 会見後のコメント
朝山選手 最後、シーズンが終わった後に、またちゃんとその時の気持ちはお話しさせてもらおうと思っていますし、しっかりとこの1シーズン戦う姿を見ていただきたいと思います。
本当にせっかくなので、何かくだらないことでも質問ありましたら、受け付けますよ。
―桜井良太選手(レバンガ北海道)も引退を発表して、今シーズンに臨んでいます。そのように、トップリーグで一緒にやってきた、同世代の選手たちへの思いは。
朝山選手 桜井選手が今シーズンの契約と同時に引退を発表しました。この間、B.LEAGUEのTIPOFFカンファレンスで会ったときにも話をさせてもらいましたが、本当に寂しいです。一緒に色々な想いを共有してきた仲間で、特にこの世代だからこそ、語り合えることもたくさんあります。当時、私たちがこの世界に入ったときはスーパーリーグで、そこからJBLになって二分化してNBLになって、B.LEAGUEになった。これだけ、日本のバスケの中でも変わってきた、そのようなことを、ずっと共有してきた仲間が、コートを去っていくのは、やはり寂しいものがあります。ただ、いつも彼らと話すのは、日本のバスケ界に自分たちはいろんなことを経験させてもらって、育ててもらってきた。何かここから先、自分たちが「こういったものをやっていきたい」と言えるのは、その時代を経験してきたからこそ、思えるものもあると思います。
B.LEAGUEは今シーズンで8年目になりますが、若い選手が中心になってプレーをしています。バスケが注目されて、環境が良くなり、発展した中でプレーしている選手がほとんどだと思います。
今、そのプレーを見ている子どもたちが、プロの選手になり、B.LEAGUEに入りたいと思い、育ってきている。私たちとは違う時代を過ごしてきたので、ともに私たちの時代を共有してきた仲間だからこそ、この先が見えていることがある。ですので、そのような仲間たちと、またこの先も色々な話をしながら、また、お互いが色々な刺激を受け合いながら、バスケ界に恩返ししていきたいなと思います。
とはいえ、まだ現役でプレーしている選手もいるので、その選手たちをとにかく私は応援したいです。個人の感覚としては、ベテランの選手がプレーを続けるには、やはりコート上で、若手選手以上の活躍を見せないと、見せ続けないと、プレーを続けるというのは、なかなか難しいものがあるというのが私の感覚です。とはいえ、プレーを続けるということは、本当に凄いことだと思います。折茂武彦(現レバンガ北海道代表取締役社長)大先輩も49歳までプレーをしていて、もちろん佐古さんとも今回色々な話をしたのですが、やはりすごいなと改めて思いました。
長くプレーを続けるというのは、大変なことだと思いますし、自分の気持ちから、普段の準備、覚悟を決めて続けないと、あの歳までプレーはできないと思います。
そこは、試合に出る、出ないではなくて、ずっとやり続けられるということが、凄いと思いました。同世代、まだ年上の選手も2選手が現役選手として残っています。今回は彼らとも、積もる話も含め、たくさん話をしました。私からは「まだまだ現役選手としてプレーしてほしい」と伝えました。その中で、引退していく人間でしかできないことを私たちはやっていく。でも、現役として続けていく決断をした選手には、その中でできることをしてほしいと思いますし、全力で取り組んでほしいということを、僕は素直に伝えさせていただきました。
私は今シーズン限りになりますし、(桜井)良太もそうです。でも(田臥)勇太さんや(五十嵐)圭さんや、同期の(柏木)真介。彼らはまだ、現役選手として続けてくれると僕は思っています。彼らは彼らで、バスケ界を彼らの立場で引っ張ってもらいたいと思っています。私たちも、自分ができることをこの先もやっていきたいと思う。そのように思っています。
―岡崎GMへ質問です。広島東洋カープなどでも、引退する選手がいる年に優勝などを成し遂げるケースがあるが、いかがでしょうか?
岡崎GM バスケは数字的なものが多く。見えるものも多いが、見えない力もすごく大事だと思っています。私も広島出身ですから、「広島東洋カープの○○選手が引退するから漢にしよう。胴上げをしよう」という思いから、優勝したシーズンがあったと思います。そのような力を今シーズンはすごく感じ始めているところです。それは、プレシーズンマッチからもそうですし、昨日の引退発表を踏まえて、皆さんの反応を見ていると、外からの思いもありますし、選手たちからも言葉にはしていませんが、何らかの形にしたいと思いを感じるので、それはすごく楽しみにしています。
(岡崎GMのコメントを受けた朝山選手)
朝山選手 私自身からは、見えていないものなので、少しでも選手たちも含めて、今シーズンはクラブとしても、本当に大きな勝負の年になると思います。クラブとしても平均入場者数4,000名というところを達成しなければならない。
どこまで自分がそこに影響を与えることができるか分かりませんが、そこに協力ができれば、こんなありがたいことはないと思いますし、チーム成績など、みんなのモチベーションを含め、何か感じてもらうことになれば、本当に嬉しいことだと思います。
本当に、なんか感慨深いです。昨日、引退発表した際のX(旧Twitter)の投稿コメントをたまたま見ました。いろんな反響があって、ずっと見入ってしまいました。ボロボロボロボロ泣いてしまいました(笑)。
皆さん一人ひとりのその言葉が嬉しかったです。と、同時にやっぱり今シーズンしっかりやりきろうと思いました。だから結構昔から応援してくださった方が、いっぱいいました。
あの頃はこうだったとか・・・そんなコメントを読むと、色々なことが込み上げてきました。
本当にやっぱり僕は幸せで。B2リーグ時代、確かに辛かった。「長かったよね」とみんなに言われます。確かに、一刻も早くB1リーグに上がりたかったです。だからこそ。色々なチームと対戦することができたなと思います。
今はB.LEAGUEのクラブも多くなってきていますが、(プロ入りした)当時は、7、8チームという状況で戦っていました。B2リーグ時代も含めて、対戦したチームはものすごく多いですし、そこで関わった選手も多いです。また、選手会にも長く携わらせてもらっています。その中で関わった選手も多くて、その繋がりの中でも色々な刺激を受けたと思っています。そのような出会いも含めて、幸せなバスケ人生、競技人生だったと思います。(広島で)苦しい時代に、声を掛けていただいたクラブもいくつかありましたが、そこは揺るがなかったです。
本当に開幕前の今、当然色々と不安がありますし、ワクワクもしているのですが、とりあえず、明後日(9月30日)の広島東洋カープでの始球式にめちゃめちゃ緊張しています(笑)。
ニック・メイヨ選手が元ピッチャーで野球が得意です。練習後に「キャッチボールするぞ!恥ずかしいは投球させない」と言ってくれていますが、なかなかそんな時間もなく・・・
マウンドからちゃんと届くのかな?という不安もあります。シーズン開幕前に一番緊張していて、おそらく、初めて見る光景だと思います。
今まで収容人数が1万人近いアリーナでプレーをしたことはありますが、マツダスタジアムのように、3万3000人が入るようなスタジアムを、あのマウンドから見た時に、プロ野球選手はどのような心境の中でプレーしているのかを感じることができるのは凄い経験、財産になると思います。
世界を見れば、バスケでも2万人、3万人が入ることはあるので、日本のバスケットボール界でもそれができたら嬉しいです。
まずは、雰囲気と熱量を先に味わってこようと思っています。投球は二の次ですかね(笑)。
…はい、こんな感じでいかがでしょうかね(笑)
今日はしっかりとお話させていただきましたので、あとは今シーズンしっかりとやり切らせていただいて、その時にまた色んな感情、色々な思いというのが出てくると思います。最高の結果になるように、頑張りたいと思っております。
記者会見場のメディアの皆さまに向けて
朝山選手 本当に最後、お話しさせていただくと、6つのチームを渡り歩いた中で、メディアの皆さんの熱量は、広島ならではだと思います。
本日も、たくさんのメディアの方々がいる中で、記者会見をさせていただいたのは、一選手として本当に幸せでした。(テレビ番組に)コメンテーターとして出演させていただいた経験も「番組を見たから試合会場に来た」という方が多くいるようで、これは他県ではないことで、本当に僕は感謝しています。当然、私一人でやってきたことではないのですが、でもこのように、熱量をもって報道していただき、色々なところで扱ってくれなかったら、ここまでのスピード感で、広島ドラゴンフライズは発展していなかったと思います。
これからもどうか、広島ドラゴンフライズを追っかけに行ってください。広島ドラゴンフライズはもっともっと良いチームになりますし、当然今シーズンも優勝を狙いにいきますけど、その中でも、その積み上げていくチームのあり方というものを、皆さんで記録して残していただきながら、色々な形で繋いでいただきながら報道していただければと思います。それが広島県民の皆さまの一番入りやすい形だと思います。これからもよろしくお願いいたします。
本日はありがとうございました。