MENU

広島ドラゴンフライズ

HIROSHIMA DRAGONFLIES

MENU
NEWS

NEWS

HOME > ニュース > 佐古賢一初代ヘッドコーチ就任記者会見詳細

佐古賢一初代ヘッドコーチ就任記者会見詳細

11/25(月)に行いました「佐古賢一初代ヘッドコーチ就任会見」にご出席いただきました皆様、誠にありがとうございました。
報道関係者を含め、会見会場には約140名の皆様が駆けつけていただき、広島ドラゴンフライズの船出を見届けていただきました。

すでに多数のメディアで報道いただいていますが、こちらでは、佐古賢一初代ヘッドコーチの挨拶と、質疑応答の様子を詳細にお伝えし、佐古賢一HCの「声」をお届けいたします。

news20131126-01

【佐古賢一 初代ヘッドコーチあいさつ】

みなさんこんにちは。
このたび広島ドラゴンフライズのヘッドコーチに就任いたします、佐古賢一です。
本日は、多くの皆様、報道関係者の皆様にお越しいただきまして、ありがとうございます。
まず、就任にあたってどのように決断をしたのかということにつきお話しします。まず共感を得たのは「広島ドラゴンフライズは競技レベルだけでなく人間形成が必要だと考えている」と、お聞きしたことです。

私にはコーチの経験はありません。
しかし、日本代表に長くプレイし、その中でリーダーシップを取り、日本のバスケットボールをけん引してきました。
これは、自分でそう感じています。
そんな私が新しくできる広島ドラゴンフライズの中で何をできるのかを考えました。
ここ1~2年、日本代表にも携わらせてもらう中で、代表はもちろん、トップで戦う選手たちに足りないものがあると思います。
それは私のイメージとしては、タレント性ではなく、リーダーシップです。
リーダーシップをとれる選手を育てることが、日本のバスケットボールのためになると思っています。

広島に来るにあたり、チームのみなさんに、言いたいことを言わせていただきました。
そのやりとりの中で、会社の理念、方向性それから「広島に、バスケでつながる風景を。」というスローガンに共感する部分がかなりありました。

人間形成に力を注ぎ、まずはこの広島のみなさんに応援していただける選手をいかに自分たちが作っていくか。やはり戦う集団を作るわけですから、「佐古イズム」じゃないですけど、いかに自分の精神を受け継いでいける選手を育てていくか。
ここを共有できたことが、決断にあたっては大きかったですね。
10年、20年とコーチを経験された方のように、チームを強くするだけ、現場だけ、勝ち負けだけにこだわる存在として、私を選んでいただいたとは思っていません。私もコーチ1年生として学んでいく部分がたくさんあります。
バスケットボールのことだけではなく、選手の管理だとか、いろんなことを含め、勉強しなくてはいけません。
しかし、私はバスケットボールに愛を持っています。
一生バスケットボールに携わって、いつの日か日本のバスケットが世界に通じる日を夢見ている一人として、「広島からこれをやりたい」と感じました。

広島は、まったく僕にゆかりがないと思われている方もあるかもしれません。
私の祖母は広島出身です。大竹(広島県大竹市)というところですけれどね。広島と隣り合わせの岩国(山口県岩国市)に住んでいたこともあります。

そんなわけで、中国地方には親族がかなりいます。両親も岩国の出身なので、広島には幼少期からしょっちゅう遊びに来ていました。
だから、広島をあまり遠いところだとは感じていないです。
広島に向かうとき、あるいは広島駅に降り立った時に、懐かしさを感じる。
そういう部分を持っている街ですから、自分の夢に向かってスタートするには広島がいい場所だと思いました。オファーをいただいた時に、何の疑いもなく、チームを支えようと思いました。
この、バスケットボールへの愛を広島から、日本に、そして世界にという中で、精いっぱいやっていきたいと感じています。
以上が、ヘッドコーチのお仕事をお受けした理由です。

広島のみなさんに愛されるようなチーム作りを目指します。
そして、来年から、我々ドラゴンフライズの歴史が始まるわけですが、対戦する相手は、歴史がかなりある。そういう相手から新規チームだといってバカにされることのないように頑張ります。そして、私が今からチームのリーダーとしてかじ取りをしていくうえで、一番気をつけなくてはいけないのは、今少しスポーツ界に欠けていると感じられる「規律」ですね。
私は若い時分、素晴らしいヘッドコーチのもとで厳しい規律のあるチームで私は育ちました。その中で結果を出し、自分の立ち位置を見つける。そうしたことを、バスケットボールを通じて学んできました。広島ドラゴンフライズは当初、若い選手が中心になると思いますが、彼らがバスケットボールをしながら人間形成をする。その手助けするのも、クラブの責任だと思います。自分が40歳までプレイをできたのも、ファン、コーチ、敵味方の選手、友達、いろんな方と出会ってきて、支えていただいたおかげです。
わたしも、コーチをさせていただくことによってまた成長させていただきたい。
精いっぱい頑張ります。

 

【佐古賢一ヘッドコーチ 抱負】

news20131126-02先ほど言いましたが、抱負はまず戦えるチームを作り、これまでの佐古賢一としてのプライドを前面に押し出して戦いたい。
目標は、初年度のプレーオフ出場です。
ウェスタン・カンファレンスの6チームのうち、3位以内に入らなくてはなりません。
ウェスタンはいずれも強敵ですし、いいタレント、いい選手のそろっているチームです。
簡単なことではないと思いますが、そこにチャレンジしていきたいと思います。

さらに、我々のスローガン「広島に、バスケでつながる風景を。」について、クリニック、地域イベントに積極的に参加していくことで実現していきたいと思います。
自分自身は企業チームでお世話になったこともあって、地域の皆様との距離を縮めていく努力を選手としてはあまりしていません。
しかしこの数年、様々なプロチームが立ち上がる中で、距離を縮められるだけ縮めていけるチームが、いいチームに育っていくのを見てきました。
選手だけでなく、スタッフ、自分も含めて全員が取り組んでいこうと思います。
日本代表を広島から輩出したい。
そのためにまず人として一流の選手を育てていく。
そして、ファンのみなさんに「ミスター・広島」、「ミスター・ドラゴンフライズ」と呼んでいただけるような選手が輩出できるよう、様々な面で育成していきたいと思います。

もちろん、今お話ししたようなすべての活動が順調にいくとは思っていません。
チームも会社も、そして私も1年生です。
すべてが挑戦になると思います。
しかし、広島のみなさんに愛されるチームを、またバスケットボール自体にも、妥協のない取り組みを心がけていきたいと思っております。
そのためには、広島県バスケットボール協会のみなさんをはじめ、広島のバスケットボール発展を願い、バスケットボールを愛するすべての方の力が必要です。
絶対に必要になると思います。
そして、これから広島のバスケットボールの歴史を作っていく上では、本日お集まりの報道機関の皆様、一般の皆様の力もお借りしなくてはなりません。
この場をお借りして、何卒よろしくお願いしたいと思っております。
初代ヘッドコーチは様々な重責を伴うことは承知しています。
しかし、やりがいも同じくらい感じています。
自分が培ってきたすべてを注ぎ込もうと思っています。
精一杯、務めさせていただきます。応援、よろしくお願いします。

 

【質疑応答】

news20131126-03―契約オファーを受けた時期と、決断を後押しした要因を教えてください。

オファーというか、私の現状についての打診を受けたのは9月です。その時点では(日本バスケットボール協会男子ナショナル委員長の職にあったため)返事をすることもできませんでした。「今の段階では、そういうことは考えられない」とお答えするにとどめました。
自分の中では「将来、日本代表の現場に携わっていく仕事をしよう」と思っていました。ただ今回はちょっと現場とは違い、GM的な立場で、代表チームのスケジュールとか、予算を管理するような、そういった仕事でした。
しかし、広島ドラゴンフライズから9月に打診をいただいた後は、私の中に「現場に戻る」ということが頭をよぎってしまいました。「現場に戻って何をできるのか」、「現場に戻るためには何をしなくてはいけないのか」、とずっと考えていました。
それからも打診を何度かいただきましたが、決断に至ったのは、10月10日です。

決断を後押ししてくれたのは、家族でした。現役最後の3年間を愛知で単身赴任していた私は引退を機に、また家族で生活できるようになりました。今は子どもも高校生、中学生など難しい時期にさしかかっています。妻に「また単身赴任で、迷惑をかけることになる」というその話をしたら、彼女は「一生バスケットボールに携わるなら、自分のやりたいことを正直にやった方がいい」と言ってくれました。その言葉が一番の後押しになったと思います。
それ以外のことを整理するのは、そんなに難しいことではありませんでした。

 

 ―佐古さん自身の第二のバスケットボール人生のスタートになりますが、どのようなヘッドコーチ像を描き、向かっていくイメージでしょうか?

みなさんが思い描いている佐古賢一というのは、きっと華々しいイメージでこれだけ結果も残してきたので、いいバスケットボール人生だっただろうと思う方もいらっしゃるでしょう。
しかし、私にも「バスケットボールを辞めなきゃいけない」、「続けられない」と思ったタイミングがいろいろありました。それはプレッシャーだとか、ケガだとかではなくて、両親や家庭の事情などで、バスケットだけしていてはだめかもしれない、という時期が何度かありました。
そんなことがありながらも、小学校3年生から40歳までバスケットボールを続けてこられたのは、いろんな人から差しのべられた手のおかげでした。

だから、コーチであるわたしがやらなくてはいけないのは、人間形成です。
バスケットボールを教えることは簡単です。
極端に言えば、教科書を見ながらでもできる。
しかし、人間形成を抜きにしては、一流の選手にはなれません。
僕自身が今まで生きてきた中で、皆さんに「ミスター・バスケットボール」と呼んでいただける立派なことをしてきた、という自負は、実は少しもありません。
でも、それは周りの評価としていただけたものだと思っています。
だとすれば、まずはそういう「人間」を作っていくこと、その人間がリーダーシップを取り、チームとして結果を残していくこと。
これがチームスポーツで一番難しいところであり、一番大事なところだと思っています。
その意味で、「どういうチームを作りたいか」と問われれば、それは「リーダーシップをとれる選手を輩出していくチーム」です。
一つのチームに引退するまでいられる選手はごくわずかです。
やはりそれなりのいい選手になれば、年俸も上がり、他のチームに出ていくこともある。
それは仕方のないことです。
でも、ドラゴンフライズを経由した選手が、日本代表や、日本のトップクラスの選手になってほしい。
そのためにはやはり、人間形成が必要だと思います。
規律のある、ルールのしっかりしたチームを作りたい。
戦術的なところで、「ファストブレイクを出して100点ゲームを狙います」、「ディフェンスでは60点以下に抑えます」というのはまだわかりません。
これからいろんな選手を見て、最終的にメンバーが固まった時に、広島ドラゴンフライズがどういう戦いをする、ということを決めていきます。
戦い方も一通り、二通りだけではないですしね。
ただ、やってはいけないと思っていることがあります。
それは、試合を途中で「投げてしまう」こと。
こういうチームは絶対に許せない。
だから、規律のしっかりしたチームにしたいと思います。

私は選手時代、その規律が好きな方ではありませんでした。
ですが自分自身、いすゞ自動車というチームで、厳しいヘッドコーチのいる強いチームの中での自分の立ち位置、チームの牽引のしかた、そういうものを教わりながら人間形成したことで、いい結果を残せたと思っているので、そういう選手を育てて、その選手がチームのカラーを作っていけるチームを目指したいと思います。

 

―そのリーダーシップを発揮するために必要な要素は?

まずは「責任の取れる人間であること」ですね。
自分の言ったことに対して、一本筋を通さなくてはいけない。
そして、リーダーとしてチームを率いていく上では、「自己犠牲」が必要です。
自己を犠牲にしながら、自分の色を出してチームを作る。
そのためには、自分を知らなくてはならない。
その選手の良さ、悪さ、そういうものを私たちが教えていって、責任感を持たせていく取り組みをしたい。その過程がリーダーシップの形成にとって、大事な要素だと思っています。
できるだけこの2つの目で、しっかりと見極めていきたいと思います。

 

―今後、どのような選手に来てもらいたいと思っていますか?

経験上、スーパースターを集めれば強いチームができるのかと言われれば、そうではありません。大きい選手には大きい選手の、小さな選手には小さな選手の、そしてシューターにはシューターの役目がありますが、私は、それぞれの超一流の選手を探しているわけではありません。
なぜそう思うかというと、広島ドラゴンフライズが、歴史のない新しいチームだからです。
チームのアイデンティティを作っていくためには、生え抜きの選手が必要です。
若い新卒の選手、24-25歳の選手をなるべく集めて、鍛えていく構想を持っています。
弱音を吐かない人間、芯の強い人間がほしい。

私は、華やかな選手より、泥臭い選手の方が好きです。
泥臭い選手は、途中であきらめることを絶対にしませんから。
しかし、華やかな選手は、試合の勝ち負けを自分の中で決めてゲームを投げることを、普通にやったりします。
泥くさい人間の方が、粘り強く最後まで戦い抜く。
そういう選手―チームとしては6番手、7番手、8番手となりますが―を数多くそろえ、彼らを重視した戦いをするというビジョンがありますので、そういう資質を持った選手を見落とさず、チームに誘えたらいいなと思います。

スーパースターはコーチが作るものではなく、選手自身が言うものでもありません。
スーパースターは、ファンの皆さんが作り上げるものです。
それは華やかな人間、タレント性のある人間だけでなく、地味でもキャラクターがある人間には愛され、スーパースターになれる要素があると思っています。
華やかな選手だけを集めようとも思っていませんし、タレントに頼ろうとも思っていません。
そういう意味では、泥臭く、あきらめの悪い人間を探しています。

 

 news20131126-04―初年度のプレーオフを目標に掲げています。

簡単なことでないことはわかっています。
ただ、同じくらい、不可能ではないと思っています。
初年度から挑戦していくという姿勢が大事です。
広島ドラゴンフライズは、5年で終わるチームじゃない。20年、30年の歴史を作っていくチームですから、その始まりとして恥ずかしくないバスケットボールを作っていこうと思っています。
はじめから負けるシーズンに飛び込んでいくつもりはありません。
私も負けず嫌いですし、やるからには勝ちたい。
勝つために自分たちがやらなきゃいけないことを一つずつ潰していき、その長いシーズンの最後に、プレーオフを争うレベルで戦うことがクラブにとっても、選手にとっても、そして僕にとっても、プラスになると思うので、初年度からそこを目指して戦いたい。
広島ドラゴンフライズは、20年30年の歴史の中、どこかで必ず優勝するでしょう。
しかし、私がヘッドコーチでいる期間に、その歴史を作りたいと思っている一人ではありますので、先ほどプレーオフとは言いましたが、もちろん優勝を目指していきたいとは思っています。

 

―広島に近い岩国出身とのことですが、広島での思い出もお聞かせください。

幼少期に岩国で過ごしたこともあって、親戚との付き合いは相当深くて、毎年岩国に行っては、広島にも連れてきてもらっていました。
一番の思い出はチチヤスダイヤモンドプール(現・広島県廿日市市『ちゅーピープール』)にお弁当を持って遊びに行った熱い夏の日のこと。
あれは今でも忘れられません。
それから、ゴールデンウィークの『フラワーフェスティバル』。
これも小学校時代には毎年参加させてもらいましたね。
だから広島と、もちろん山口にも思い出がたくさんあります。

 バスケットに関していうと、自分たちの世代が中心のチームで初めて銅メダルを取れた1994年のアジア大会ですね。自分たちが世界を目指して日本のチームをけん引するというその始まりが、この大会でした。自分たちの一番いい時代を出発させてくれた大会です。
代表活動をして、メダルをとったのが4回。
いずれも、あと一歩オリンピックや世界選手権に届かない色のメダルでしたから悔しさもありますが、アジア大会のメダルはその最初の1回でしたから、やはり思い出に残っていますね。

 

―これまでプロチームがなく、バスケット文化がない広島に、今後何が必要ですか。

あくまでも自分の希望ですし、なればいいなと思っていること、という前提でお話しします。
これは強調しておきたいのですが、広島県のバスケットボールは小学校、中学校までは全国レベルです。
競技人口も他の都道府県に負けていません。
ただこれが高校になると、県外にいい選手が流出していってしまう。
これをまず止めなくてはいけない。
大学もまだ、中国地方は関東、関西のレベルには及びません。
だからバスケット熱がないと思われがちですが、私はそう思っていません。
今回、ドラゴンフライズができることによって、高校生との接し方、大学生との絡み方、いろいろな可能性が生まれると思います。
一つの案としては、トップチームのトライアウトで、ゲーム形式の相手を大学生と高校生に務めてもらうこと。
受験者は、まさかここで大学生と高校生に負けていては、ドラゴンフライズに入れませんから、変なプレッシャーがありますよね。本気になったトライアウト受験者と試合することによって、高校生、大学生に大きな刺激を与えることができる。
そうした活動を積み重ねてレベルを上げ、高校からの選手流出を防いで、生粋の広島出身の生え抜き選手が広島でプレイすることが、ドラゴンフライズの将来への希望だと思っていますから、ここには積極的に力を注いでいきたいし、お役に立ちたいところです。

 

―その活動の一環として、まだ選手ではない子どもたちへ、どうバスケットの魅力を伝えるか、ということもあると思います。その理念を教えて下さい。

私は今、文部科学省の事業「トップアスリート事業」に参加させていただいています。そこでは学校の授業に参加し、バスケットをしたことのない子どもにバスケットの楽しさを伝える取り組みをしています。
こうしたことは、現場レベルだけではなくて、地元行政の皆様のご協力がないとできることではありません。ドラゴンフライズの選手が授業のひとコマに参加して、バスケット楽しさを伝えるという大切さは認識しています。
やっぱり子どもは、バスケットに興味がないと試合会場に来てくれませんから、地元に密着して選手を育ててチームを作っていきたいという理念の中では、絶対にやらなくてはいけないことだと思います。
そこに積極的に取り組んでいくことが底辺拡大、ファン層拡大につながり、我々のスローガン「広島に、バスケでつながる風景を。」の達成につながっていきます。
そういう部分に関しても、いち現場の責任者として、積極的にかかわっていきたいと思っております。

 news20131126-04-2

 【会見後、ご来場の皆様と交流】

会見終了後には、短い時間でしたが、ご来場いただいた皆様と交流させていただきました。
これが、競技こそしていませんが広島ドラゴンフライズが生んだ初めての「バスケのある風景」。
今後も、こうした機会を可能な限り作って、地元の皆様に真の意味で密着してまいりたいと思います。
今後とも、応援をよろしくお願いいたします!